「ウィーン楽友協会ホール新春コンサート」感動の報告(小田:15期)

投稿日時 2010-4-3 17:50:00 | トピック: OB会

昨年1月5日、「ウィーン楽友協会でのコカリナ・コンサートにOB合唱団も出演しませんか?」という、黒坂正文さん(17期)からのオファーが始まりでした。前年(2008年)1月、ウィーン・コンチェルトハウスでのコカリナ・コンサートを成功させた黒坂さんに、ウィーン楽友協会から招待があり、それにOB合唱団も乗りませんか、というお誘いでした。楽友協会ホールといえば、ウィーンフィルのニューイヤー・コンサートが日本でも生中継されることで有名です。また、最近では、映画「のだめカンタービレ最終楽章」の冒頭のコンサートシーンで使われたことでも広く知られ、まさにクラシック音楽の聖地ともいえる会場です。そこで歌えるなど夢のまた夢、考えても見なかったことなので、二つ返事でOKしました。しかし、多くの団員にとっては、正月早々に長期の休暇を取ることや、家族の都合を考えると難しかったようで、最終的にツァーに参加したのは、21名の団員と4名のご家族でした。
2010年1月4日、日本全国から集まったコカリナ合奏団約120名の皆さんと一緒に、成田発のオーストリア航空便でウィーンに直行、11時間半のフライトを経てウィーンに到着。一日早くウィーンに到着していた黒坂さん一行(奥様でヴォーカルの矢口周美さん、長男でプロ和太鼓奏者の黒坂周吾さん、ピアニストで作曲家の福澤達郎さん)とホテルで合流。夜、ホテルの一室を借り、全員で1時間ほどの練習を行なったのですが、フライトの疲れと共にいやに細長い部屋の影響もあり、イマイチの状況で翌日の本番に不安を残しました。

1月5日は本番当日。午前中はウィーン市内をバスで観光し、昼食後、いよいよ楽友協会ホールへ。楽友協会ホールの前では、鈴木信義さん(4期)から寄贈されたOB合唱団の団旗を持ち、全員で記念撮影を行ない、その後楽屋入りしました。
リハーサルのため舞台に出てみると、会場はまさに「黄金の間」。黄金のパイプオルガンが舞台正面上に設けられ、客席側面には柱ごとに黄金の女神像が並んでいます。ただ、テレビで見たときは、客席の奥行きがかなりあるように思えたのですが、見た感じではそれほど奥行きを感じませんでした。舞台は傷だらけの木製で、決してきれいとはいえないもので、コカリナ合奏団が使用した譜面台も全てホール備え付けの木製の時代物でした。合唱団は、舞台上手(向かって右側)の2階バルコニー席に座って出番を待つことになりました。2階席といっても舞台と同じ高さ面にあるので違和感はありません。OB合唱団の演奏曲は、「よさこい」「金比羅船々」「木曾節」の日本民謡3曲と「アヴェ・ヴェルム・コルプス」、そして黒坂オリジナル「一本の木」のバックコーラス、アンコール「ウィーン我が夢の町」でしたが、事前にプログラムの順番が知らされていなかったので、リハーサルでは、段取りを頭に入れるのにずいぶんと気を使いました。リハーサルでは驚きがありました。“よさこい〜よさこい”と歌い終わり、音が途切れた瞬間、ふわっと頭上に音が立ち昇ったのです。こんな経験は初めてでした。これが楽友協会ホールの凄さなのだとつくづく感動し、このホールなら20人の合唱団で十分できると確信が持てました。
そして19時半、いよいよ本番です。楽友協会ホールは座席1700席で3階席まであるのですが、1・2階席は満席、3階席にもお客さんが入る大盛況です。ちなみに入場料は7ユーロ(900円強)で全て自由席。収益は、全て小児癌患者と母子家庭のために寄付されました。
オープニングは、黒坂ユニットによる「祝い」、ヴォーカルの周美さんが小鼓を担当し、雅楽の雰囲気で一挙に日本の雰囲気に会場を包み込みます。こんな音楽分かるのかなぁ、と思っていたら、1曲目から大拍手が沸き起こり、観客の温かい反応に驚かされました。その後のコカリナの演奏に沸く観客、3階席から身を乗り出して覗き込むお客さん、バルコニー席で控えていた合唱団メンバーも会場の中に自然と入り込んでいったようです。
いよいよ出番。女性が前列、男声が後列の2列に舞台に並ぶ合唱団員。司会の方の紹介で大拍手に迎えられ、思い切り笑顔になってしまう筆者。日本民謡は、黒坂周吾さんが太鼓などでリズムを刻んでくれたおかげで安心して歌えた合唱団は、これまでの練習とは打って変わって声が出ていました。一人ひとりがとっても良い顔をして歌っていました。コカリナとのバランスも絶妙でした。そして、1曲終るごとに起こる大きな拍手。個々には様々なミスもあり、完璧な演奏ではなかったのですが、たった3曲の日本民謡を歌ったのに、何か大曲を演奏したような達成感がありました。前半の最後は、コカリナも全員が参加する「アヴェ・ヴェルム・コルプス」。コカリナ合奏団は、レベルに応じて3組に分けられ、全員が演奏する曲は少なかったのですが、その中の1曲です。全員が思いをこめた演奏が静かに終ったとき、沸き起こった大拍手がいつまでも鳴り止みませんでした。
後半には、ウィーン交響楽団(ウィーンフィルとは別のオケ)の美人ハーピストとイケメン・コントラバス奏者が友情出演し、中でも黒坂ユニットとの「鳥の歌」は絶品でした。広島の被爆樹で作ったコカリナによる平和を希求する曲は、「アメージング・グレイス」「イマジン」と続き、最後はオリジナル曲「一本の木」。ヴォーカル周美さんは手話を交えて歌い、その歌詞を司会者がドイツ語で通訳します。曲の最後に合唱団のコーラスを付けて演奏が終わりました。
割れんばかりの大拍手がいつまでも続く中、一旦舞台上手に下がった黒坂夫妻が再登場し、コカリナによるアンコールは「ラデツキー行進曲」。ウィーンフィルのニューイヤー・コンサートで必ず演奏されるアンコール曲で、ウィーンのお客さんは良く知っています。曲が始まると、会場全体にドッというどよめきが起こりました。まさか、コカリナでラデツキーをやるとは思いもしなかったのでしょう。合唱団は、舞台上で拍手要員を務めました。そして、本当に最後の曲は、黒坂さんのコカリナ・ソロで始まる「ウィーン我が夢の町」。ここでも観客は笑顔を見せてくれました。サビの部分をコカリナ合奏団が一度演奏し、2回目・3回目の繰り返しに合唱団が入りました。この締め曲の指揮も筆者が担当させていただきましたが、こんなに幸せな思いになれたことは無いのではないか、と思えました。長く長く続く大きな拍手の中、何度も何度も頭を下げ、筆者は黒坂さんとガッチリ握手をしてコンサートの成功を喜び合いました。そして、観客席では、コカリナの初心者クラスの方々が、お客様一人ひとりに折鶴をお渡ししました。この折鶴、参加者みんなが家で折り、往きの飛行機内で折ったものですが、ウィーンのお客さんには、演奏と共に喜んでいただけたようです。拍手が鳴り止まない中、舞台を後にするとき、最前列の紳士が、日本語で「ありがとう」と声をかけてくれました。たまらなく嬉しかったですね!演奏の良し悪しを言うよりも自分たちが楽しめたことへのお礼を言う、これがウィーンのお客さんの真髄なのでしょう。モーツァルトもベートーヴェンも、こうした環境で育てられたのではないでしょうか。
興奮さめやらぬ合唱団員は、午後11時頃から1時間、ホテルの筆者の部屋に集まり、成田で買った焼酎や差し入れのウイスキーを飲み、その日の舞台での興奮を熱く語り合いました。みんなの顔は本当に輝いていました。
1月6日、感動の楽友協会ホールでの演奏に浸る間もなく、バスで一路ザルツブルグに向かいました。ザルツブルグは、かつて岩塩の生産が盛んだったそうで、岩塩を運んだ川を渡ると旧市街に入ります。ここでの目的は、モーツァルトの生家前での演奏。この日は、当地の祭日でほとんどのお店が閉まっていましたが、モーツァルトハウスの前には観光客も多く集まっていました。そこでの演奏。つまり零下3度の中の路上パフォーマンスです。まずは、コカリナ合唱団が、黒坂さんの指揮で「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を、そして全員が筆者の指揮で「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を演奏しました。演奏が終り大拍手の中、筆者はどこかの老夫婦と記念撮影を撮らされました。きっと東洋の著名な指揮者が来たとでも勘違いしたのでしょうか、楽しい交流でした。この日は、夕方から楽友協会ホールでのコンサートの打ち上げを兼ねた大夕食会を市内のレストランで行い、この場で、全員に楽友協会ホール出演の証明書が手渡されました。これもお宝です。
1月7日は、ザルツブルグでのもう一つの目的、ザルツブルグ大聖堂での演奏を行いました。特別にお客さんがいる訳ではないのですが、大聖堂の高い天井が素晴らしい音空間を作っています。ここでの演奏は、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」と黒坂ユニットによる「アメージング・グレイス」。なんとも言えない素敵な響きで、音が頭上から降ってくるようでした。2年前にも、コカリナのメンバーはここを訪れているのですが、その時は、コカリナという得体の知れない楽器での演奏はいぶかしがられ、結局4人だけが演奏を許可されたそうです。今回は、全員が演奏できたので、コカリナメンバーの思いはひとしおだったようです。メンバーの一人は「私はキリスト教徒です。楽友協会ではいまひとつ乗り切れなかったのですが、この大聖堂では本当に感動しました。ありがとうございました。」と筆者に握手を求めてきました。
参加者全員でのイベントはこれで終了。ここから、帰国第一陣は、郊外の美しい湖水地帯ザルツカンマグート観光に、ツァー継続者は、バスでイタリアに向かいました。
<紙面の制約があるならば、ここまでで一旦切って、後は次回で結構です>

イタリア組は、この日の夕方には、クロアチアとの国境に近いウディネという町にあるバルドッチ難民支援センターでの演奏会に臨みました。クロアチアやボスニア・ヘルツェコビナなど内戦の影響から故郷を捨てた難民を支援しようとする世界各国から集まったボランティアの方々の集まるセンターです。第一陣が帰国し、残った合唱団メンバーは、S1、A4、T2、B1という偏った編成でしたが、「よさこい」と「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を演奏し、何とか役割を果しました。演奏会では、黒坂さんの被爆樹コカリナでの演奏に加え、コカリナ合奏団の中に居られた広島の被爆二世の方の核廃絶への訴えが感動を呼んでいました。演奏後、難民支援センターの方から、7色の横縞地に“PACE”(イタリア語で“平和”の意)と白く染め抜いた旗を頂戴しました。戦争や紛争がどれほど悲惨なことか、平和こそ人類にとって本当に大切なことだ、と考えさせられる演奏会でした。
 1月8日は、イタリア北部中央部、ボローニャ郊外のレニューゴという町の教会での演奏会です。バスが遅れ、教会の中には大勢の方が待っておられました。ユニフォームへの着替えもせず、あわただしく演奏会が始まります。舞台は教会の祭壇です。演奏は無事に終わり、最後には地元の子供たちが合唱のお返しをしてくれました。子供達の方がうまかったらどうしようか、と一瞬心配しましたが、実に素朴な素敵な演奏でした。その後は、教会の集会所で一大交流会が開かれました。住民の皆さんが様々な料理をこしらえて我々に振舞ってくださいました。問題は会話です。イタリア人にとって英語は外国語、我々にとっては片言の英語が生命線。それでもそこら中で笑いの輪が広がっていきます。そして、久保田エリさん(4期)が神父さんに、歌劇ナブッコの「黄金の翼」を知っているかと尋ねると、さすがにご存知。筆者が持っていた楽譜を取り出し、日伊合唱が始まりました。これがきっかけで皆が知っているイタリアの歌を歌い始めました。ところが、面白いことが分かりました。その神父さんは「サンタルチア」や「帰れソレントへ」はご存知無かったのです。日本では誰でも知っている歌はほとんどが南イタリアの曲で、北イタリアではポピュラーではなかったようです。それでも、「オーソレミオ」はご存知で、グノーの「アヴェ・マリア」なども一緒に歌い、イタリア語の曲を勉強していて良かったとつくづく思いました。最後は、黒坂ユニットの「アメージング・グレイス」で、大盛り上がりの交流会を締めました。
1月9日は、昨年4月のイタリア地震で大被害を受けたラクイラに向かいました。昨年、G8サミットが開催された地で、「被災者支援コンサート」を教会の集会所で開催しました。黒坂さんは、日本では中越地震で被災した山越村を何度も訪ね、コカリナで被災者を励ましてきました。こうした思いはイタリア地震の被災者にも向けられ、今回のコンサートになったものです。ここでも素晴らしいシーンがありました。被爆二世の方の訴えをラクイラで行なうのかが議論になりました。地震で被災して自らの明日が心配な方々に、核廃絶への思いを語るのはどうなのだろうか。当のご本人も自分の出番はないと決め込んでいたのですが、最終的にはイタリアでの他のコンサートと同様、彼女は被爆二世としての体験談、核廃絶への思いを語ったのです。彼女の話が終った直後、観客が総立ちになり、長い長い拍手を送ったのです。それはとても感動的なシーンでした。自分たちが被災したこともさることながら、核廃絶への思いは同じだよ、一緒に頑張ろう、そんな拍手でした。筆者は、不覚にもその後の出番で声がつまり歌えませんでした。暗闇の中に浮かぶ無人となったラクイラの市街地を見ながら、唯一の被爆国である日本で、核兵器廃絶を語ることが政治的だ、などというのは、世界的に見ても感覚がずれているのではないかと思わされました。なお、この日のコンサートは、朝日新聞ローマ支局が取材に訪れ、1月30日付朝日新聞夕刊に黒坂さんの顔写真付きで掲載されました。
1月10日、今回のツアーで唯一、演奏の無い日で、終日、フィレンツェで観光と買い物を楽しみました。いろんな珍道中もありましたが、ここは省略。
1月11日、フィレンツェからバスでイタリア第二の都市ミラノに移動。途中、高速道路沿いに走るイタリア新幹線に何度か遭遇、今日のイタリアを垣間見ました。この日は、「ヴェルディ憩いの家」でのコンサートです。「椿姫」、「アイーダ」、「ナブッコ」など有名なオペラを作曲したヴェルディは、晩年私財を投じて、引退した音楽家達の終の棲家としてこの建物を建て、それを自分が作ったことを伏せるように伝えたそうです。ここにはヴェルディ夫妻の墓もあるのですが、単なる老人ホームではなく、若い音楽家の養成も行なっています。我々が訪問したときも、チェロの練習をする若い女性の姿がありました。ここの3階ホールでコンサートは行なわれました。合唱団は、筧さん(3期:A)、堀さん(19期:A)、宇津宮さん(20期:A)、掛川さん(OB合唱団:B)、小田(15期:T)の5名になっていましたが、アルトの堀・宇津宮ご両人にソプラノパートを歌ってもらい、なんとヴェルディ・オペラから「黄金の翼」をご披露しました。観客からは温かい拍手が送られ、コカリナメンバーからは、合唱団凄いですね、と少し尊敬されました。
この日の夕食は、全体の打ち上げをかねて行ない、参加者全員が一言ずつ感想を述べ、和気あいあいの楽しいものでした。一つ残念だったのは、みんなで騒ぐつもりでキーボードまで用意をしたのですが、ホテル側から他の客もいるのでと断られたことです。筆者もソロをご披露したかったのですが、またの機会となりました。もちろん、閉会後は筆者の部屋で合唱団員だけで最後の打ち上げを行ないました。
1月12日は、一路帰途へ。ミラノ空港から空路ウィーンに、ウィーンから成田に直行。
1月13日朝9時には成田に到着。みんなで名残を惜しみながら解散しました。ここから、OB合唱団とコカリナの新たなつながりがスタートするのかもしれません。今回のツァーを企画してくれた黒坂さんには心からお礼を述べたいと思います。そして、今回のツァーに参加された全ての方、出会った皆さん、本当にありがとう!(完)




早稲田大学合唱団OB会 XOOPS Siteにて更に多くのニュース記事をよむことができます
http://www.chorus.homeip.net

このニュース記事が掲載されているURL:
http://www.chorus.homeip.net/modules/news/article.php?storyid=42